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パロディが二次創作と運命を共にしてはならない理由

日経ビジ ネスONLINE 日本版フェアユース、いよいよ中間取りまとめへ: 『動画共有サイトでは、漫画やゲームのキャラクターを使った二次創作物など、パロディー的な作品が数多く投稿されている。法制度の見直しによって、将来的 に パロディーがどこまで許容されるかどうかは、動画共有サイトの発展の将来性に大きな影響を及ぼしそうだ』

――昨日、上の記事へのリンクをTumblr.に投稿し、「この記述は誤解を生みそうで問題ありだなあ」で始まる下記の「コメント」をつけたのだけれど、むしろタイトルをつけてテキストとして保存しておくのがいいと思ったので、再掲。

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風刺の意図のない二次創作(この用語じたい法的根拠のないもので、きちんと定義したほうがいい)はパロディーではない。「パロディー的な」と書いて いても、パロディのフェアユースにおける扱いで二次創作の運命も変わるというのなら、同じと言っているようなものだ。

私は二次創作同人誌、MADといった同人活動が(オリジナル同人誌と同様に)クリエイターのゆりかごとして日本のマンガ・アニメ文化の隆盛を担って いると考えている。そしてそういった活動が「同好の仲間での回し読み」では収まりきらず、インターネットを介して一般の人々の目にも触れるようになって来 ているのも最近とみに感じている。

だから、これまでは著作権者の「お目こぼし」を期待しながらの二次同人活動だったけれど、このような状況下ではそろそろ足元のおぼつかない状態を脱 してきちんとしたルールの設置が必要だと思う。

そして著作権者と二次創作者が対立することなく、次代のクリエイターの輩出とマンガ・アニメの繁栄のために歩み寄れる前提でのルールが創設され、日 本の文化発展の一翼を同人活動が担い続けられることを願っている。

しかし、そこでパロディーが二次創作と同様に扱われるのは危うい。

なぜなら、二次創作は、もとの作品への愛着の表明はあっても基本的にはそれによって何かを変革するものではない一方、パロディーは、もとの作品への 風刺をこめた批評や批判を通して、作者のあるいは読者のものの見方を問いただすという社会的役割を担っているからだ。

だから万が一、二次創作に待ったがかかるようなことが(あってほしくはないが)あった場合、巻き添えでパロディの創作までが制限されることになるの はとても困るのだ。そして困る側というのは、最も効果的な批評手段のひとつを制限されることになる民主主義社会全体なのだ。

著作権が日本とは異なるアメリカの例ではあるけれど、フェアユースにおける先輩の「二次作品」の運用上の区別はどうなっているのかを調べてみた。

Derivative work: 二次著作物。 いわゆる「続編」であり、許可無く製作、発表すれば著作権者の訴えで著作権法違反に問われる。

Transformative work: 変容的著作物。原著作物にはない新たな価値を付け加えている作品で、フェアユースに該当するとの判例がある。

Parody: パロディ。 Transformative workの一形態との解釈もある。

日本でも、ちゃんと用語を区別して定義するのが、まずは急務だ。そして、二次的に作られた作品がどれに該当するのかを区別して、フェアユースの適応 が是であるかどうかを決めなければと思う。

2 years ago

April 14, 2010